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東京地方裁判所 昭和57年(わ)290号 判決 1983年3月01日

被告人 中村正夫

昭九・五・二九生 無職

主文

被告人は無罪。

理由

第一公訴事実と争点

一  本件公訴事実は、次のとおりである。

「被告人は、

1  霊感による診療行為を仮装して、婦女を強いて姦淫しようと企て、昭和五七年三月二一日午後五時三〇分ころ、東京都新宿区新宿一丁目一番三号新宿西口地下一階小田急百貨店荷物一時預所先路上を通行中の甲野春子(当二一年)を言葉巧みに誘つて同区西新宿一丁目一番一号新宿西口会館二階喫茶店「小島屋」に連れ込み、同女の血液型や兄弟の数、ほくろの位置を言い当てるなどして自己に霊感があるものと誤信させた上、同女に対し、「僕には霊感があるので判るんですが、あなたは激しいスポーツをしたり、タンポンを使つたことが原因で、それ以来あなたの子宮口は曲がつたままになつているのです。そのせいで目の下にくまが出たり、生理不順や生理痛に悩まされているのです。それを治しておかないと結婚しても子供ができにくいし、流産したり奇形児が生まれる虞れもあります。子宮癌になる可能性もあります。あなたの病気は現代の医学では治せないんです。霊感のある僕にしか治せないんです。僕の霊感を使つて指でちよつとマツサージすれば必ず治ります。あなたは五月になれば素敵な人とめぐりあえます。しかし、治しておかないと将来幸せな結婚ができませんよ。」などと嘘をついてこれを信用させ、同日午後七時ころ、同女を同区新宿三丁目三五番一〇号ローヤルプリンスビル地階「待合室ぎよえん」B七号室に連れ込み「治療を始めますから脱いで下さい。裸にならないと霊感が通じません。」などと申し向けて、霊感による子宮の治療のため必要であると信じて全裸になつた同女をその場に横臥させ治療を装つて手指を同女の腟内に挿入するなどし「痛いですか。感じますか。」などと申し向け、同女をして自己の子宮に疾患があり、霊感がある被告人のみがこれを治療できるものと誤信させるなど、冷静な判断力・批判力を欠いた状態に陥らせた上、更に、同女に対し「あなたの子宮はだいぶひどく曲がつているから僕のものをちよつと入れて治療します。これは決してセツクスではなく霊感による治療です。僕を信じて下さい。信じないと霊感が働きません。」などと嘘をいい同女をして霊感による治療のためには、被告人の説明どおりの方法によるほかないものと誤信させて心理的に抗拒不能の状態に陥らせ、その場で、霊感による子宮の治療を仮装して同女を強いて姦淫した(昭和五七年一〇月二一日付起訴状)、

2  婦女に対し、その子宮の疾患を看破し、かつ、これを治療する霊感を有していると偽つた上、言葉巧みに詐言を用いて、同女をして、子宮に疾患があり、被告人の指示する方法による治療を受けるほかないものと誤信させて、心理的に抗拒不能の状態に陥らせた上、治療行為を仮装して同女を姦淫しようと企て、昭和五七年四月一六日午後八時三〇分ころ、東京都北区田端一丁目二〇番付近路上において、通行中の乙山夏子(当二〇年)に対し、「あなたの顔を見て霊感が働き、あなたの目の下にクマがあるのが気になつて声をかけたんです。あなたの目の下にクマがあるのは子宮が曲がつているからです。僕には霊感があるからそれが判るし治すこともできます。とにかく話だけでも聞いて下さい。」などと虚構の事実を申し向け、間もなく、同女を同区田端一丁目一九番一二号所在喫茶店「ポニー」に誘い込み、その血液型・性体験などを言い当てるなどして、自己に霊感があるものと誤信させた上、同女に対し、「僕には霊感があるので判るんですが、あなたは、初めてのセツクスのとき、乱暴にされたので、それ以来、あなたの子宮の入口は下の方に曲がつたままになつているんです。そのせいで、あなたは、不感症だし、目の下にクマが出ているんですよ。それを治しておかないと結婚しても子供ができにくいし、奇形児が生まれてしまいますよ。子宮の曲がつている人は生理不順のことが多いのですがあなたもそうでしよう。あなたの病気は医者では治せないんです。僕のいとこは医者をしているんで、子宮が曲がる病気についていろいろ聞いてみましたが、医者では治らないと聞いています。僕は、この子宮が曲がつていることについては、いろいろ聞いて知つているし、霊感のある僕だけにしかこの病気を治せないんです。僕の霊感を使つて指でちよつとマツサージすれば必ず治ります。」などと虚構の事実を申し向けて、同女をしてその旨誤信させた上、同日午後九時ころ、霊感による子宮の治療のためと称して同区田端一丁目二一番一二号ホテル「八平」二〇二号室に同女を連れ込み、同女に対し、「洋服を脱いで全部裸になりなさい。そうでないと霊感が通じないんです。それにお風呂に入つてお互いに身体を清めないと霊感が働かず治療ができないんです。僕を信じなさい。僕を信じなければ霊感が通じないから治療はできません。」などと申し向け、霊感による子宮の治療のため必要であると誤信した同女をして、入浴させた上、同室内の布団に横臥させ、治療を装つて、手指を同女の腟内に挿入するなどし、「これはひどい。」などと申し向け、更に、自己の子宮に疾患があり、霊感がある被告人のみがこれを治療できるものと誤信し、冷静な判断力・批判力を欠いた状態に陥つていた同女に対し、「あなたの子宮は、だいぶひどく曲がつていて、いくら霊感を使つても指だけでは治らない。だから僕のものをちよつと入れて、マツサージしてあげる。これは決してセツクスではなく治療ですから心配しないで任せて下さい。霊感を使つてちよつとマツサージするだけですよ。」などと虚構の事実を申し向け、同女をして、霊感による子宮の治療のためには、被告人の説明どおりの方法によるほかないものと誤信させて心理的に抗拒不能の状態に陥らせ、その場で、霊感による子宮の治療を仮装して同女を姦淫した(同年七月二三日付起訴状)ものである。」というのである。

二  右両公訴事実とも、被告人の行為の外形的部分についてはほとんど争いはない。すなわち、被告人は、被害者両名に対して霊感による性器治療の名目で姦淫行為に及んだという加害行為の中心的部分だけでなく、路上で被害者両名を呼び止め、喫茶店へ誘つて話をし、最後にラブホテル等へ誘いこむに至つたいきさつについても、捜査段階及び当公判廷において詳しく自供しており、その供述内容は、関係証拠上も明白と言える。そこで、本件の問題は、被告人のそのような行為に対し、被害者らがなぜ同行しまた公訴事実にあるような被告人からの行為に応じたのか、更にそのこととも関連するが、被告人が本件で行つた程度・態様の行為は、元来刑法一七八条にいう、相手方を抗拒不能ならしめ(又は抗拒不能に乗じ)るとの実質を有する行為(準強姦)と言えるのかどうかの点にある。

弁護人は、本件証拠上認められるやや特異な事情、すなわち、被告人は、被害者と性行為をするにあたり、暴行・脅迫はもとより、その他通常、強制のための手段と疑われるような行為を行つておらず、単に自己に霊感による性器治療能力等があると偽つただけであること、被害者らは、これに強い興味を示し、自らの意思で被告人に同行することとしてラブホテル等へ付いて行き、霊感治療という名目の下においてではあつたが、被告人との間で実質上性行為を行うことを明確に認識しながらこれに応じたものであること等の点を指摘し、そうであれば、客観的に見て刑法一七八条にいう「抗拒不能ならしめ」たものとも「抗拒不能に乗じ」たものとも言えない、もとより、右の行為は道義的・社会的には批難に値するものであるが、現行法にそのような行為に対する処罰とこれに対する刑罰の量を定めた規定が存在しない以上、処罰することはできない、だからといつて、あえて刑法一七八条に含めて処罰しようとすることは刑罰法令の類推解釈であり、罪刑法定主義に反し許されない、と主張するのである。

そこで、以下、この点につき当裁判所の判断を述べる。

第二当裁判所の判断

一  まず、検察官は、被告人の行為が刑法一七八条所定の、相手方を「抗拒不能ならしめ」て姦淫した場合に該当する理由として、同条にいう「抗拒不能」には心理的抗拒不能も含まれ、かつ被害者が被告人の姦淫行為を認識しているときでも、その際自由な意思の下に行動する精神的余裕が失われ、姦淫行為に対して抗拒することが期待できないと評価される場合はこれに含まれると解するのが相当であるとし、そのような解釈の下に、本件の被害者らは、被告人から、霊感により性器異常のあることが分かるとか手指を挿入してマツサージをし霊感による治療をしておかないと将来幸せになれないなどと告げられ、これによる不安と驚愕の余り冷静な判断力を欠いた不安定な心理状態に陥らされ、自由な意思の下に行動する精神的余裕を失い、その結果被告人から同人の性器挿入によるマツサージが必要だと言われたのを拒否することが期待できない、いわゆる「抗拒不能」の状態において前記被害に遭つたものであると主張する。

そこで、「抗拒不能」ならしめて姦淫した場合に該当するか否かの判断に必要と思われる点を中心として、被告人が被害者らを誘つた事情と、被害者らがこれに応じるに至つた経過を振り返つてみることとする。両事実とも類似の経過をたどつているので、以下では便宜上両事実を一括して検討するが、証拠によると、

<1>  被告人は、両犯行日とも、夕方まで、競馬ないし競輪に興じて時間を過ごすうち所持金をすつてしまい、簡易旅館に帰る途中、午後五時半ないし同八時半ころという時間帯に、新宿駅西口地下一階通路(1の事実)あるいは国電田端駅先の路上(2の事実)という、いずれも人通りの少なくない通路上で、折から一人で通行中であつた被害女性らに目をとめ、「一寸すみません」と声をかけ、霊感能力など全くないのに、「自分は怪しい者ではなく普通のサラリーマンです。今、あなたの顔を見てピピーツと霊感が働いたのです。」「あなたの目の下にクマがあるのは子宮が曲がつているからです。僕には霊感があるのでそれを治すことができます。治しておかないと幸せな結婚ができませんよ。」「ここで立ち話をするのも何ですから近くの喫茶店にでも行つて話を聞いて下さい。商売にしているのではないからお金なんかはいりませんよ。」というようなことを言つて近づき、それでも信用しそうにないように見える相手に対しては、口から出まかせに「あなたは今好きな人のことで悩んでいるでしよう。」と言つて反応を見てみたり、かつて同様の加害行為に及んだ相手方女性の名前を書き記した手帳の記載をパラパラとめくつて見せながら、それらの人達も治してあげたなどと全くでたらめなことをさももつともらしく話して気を引き(1の事実)、結局短時間話を聞くだけならば応じてもよいとの気持にさせて、被害者らを近くの喫茶店へ誘い込んだこと、これによれば、本件は、見ず知らずの通行人に声をかける手口の行為であつて、両者間に事前には何らの信頼関係も存しなかつたこと、

<2>  喫茶店内で被告人は終始自己に霊感能力があるとの態度をとり続けたが、そのことを相手方に信用させる根拠に用いた話はすべて被害者の態度・様子を観察しながら選択していたに過ぎず、真の意味で秘密の暴露と言えるようなものはなかつた。例えば、相手方女性の血液型について、A型かO型でしようと比較的例の多い血液型を持ち出すとか、あるいはほくろの有無についてもだれにでも多少はあてはまりそうな内容の切り出し方をし、すべて実際には相手方の返答に即応して言い繕つているだけのことを初めから分かつていて言い当てているかのように話し、更に相手方の兄弟の有無、セツクス経験の有無などについても、相手方の態度に合わせてさも霊感で察知していたかのように巧みに言い回し、その結果、例えば、相手がセツクス経験があると肯定すると、それが原因であるかのように言うし(2の事実)、否定すると、それでは何かスポーツをやつたことがあるだろう、タンポンを使つたことがあるだろうなどとそれが原因だというように他の問題とすり替えながら(1の事実)、いずれの場合にも話題を相手方の生理不順に移してゆき、そして最終的には、その原因は子宮の入口が曲がつているためであるという結論に結び付けるように取り運んだ上で、自分には霊感があるのでそのことが分かるし、また自分の指を中に入れて子宮の入口をマツサージすれば霊感により治すこともできる、放置しておくと結婚しても子供が産まれ難いし、流産したり奇形児が産まれやすく、また不感症で離婚の原因にもなりやすく、将来幸せになれない等々と言い、これに対して、相手方が例えば看護婦をしている姉と相談して近々医師に診察してもらう予定だと言うと、この病気は現代の医学では治らないと言い(2の事実)、また身辺の者と相談した上で考えたいと言うと自分の霊感は一年に一度位まれに働くだけで、いつでも働くというものではないから、今の機会を逃すと霊感治療は難しいと言つて相手の気持を強く誘う態様のものであつたこと、

<3>  被害女性は、高校卒業後化粧品販売会社の美容部員をしているとか、あるいは短大卒業後大学の事務職員となつている二〇歳ないし二一歳の女性であり、若干の性経験を持つていたり(2の事実)、性経験はないものの男性と交際した経験があつたりして(1の事実)、いずれも成人女性として普通ないしそれ以上の判断能力や性知識を備えており、女性一般の水準よりも、特に男女関係につき、ルーズと感じさせるような格別の事情はうかがえない上、<2>に記載した喫茶店での被告人との対話中も、被告人から特に脅されたり、強い態度でとられたりしたことはなく、むしろ被告人のことを顔付きや話し振りからは素朴で人の良さが現れているように見えた(1の事実)とか、優しそうでまじめなサラリーマン風に見えた(2の事実)という風に受けとめる雰囲気のなかで話を聞いていた。また当時被害者らには、婦人科系の疾患は存在せず、生理痛などがあつたとき多少不安を感じていたことはあつたが、深刻に思い悩み治療に腐心するというような差し迫つた事情はなく、被告人から生理不順と言われれば、多少だれにでも思い当るふしがあるという程度のことであつたが、何となく被告人が言い当てているかのように感じた点もあり、また、将来奇形児が生まれるおそれがあるなどと言われれば、それは困るという気持も働いたりして、やがて話が進み、被告人から近くのホテル等へ行つて治してあげましようと言われたときには、行けば腟内に手指を挿入してのマツサージという露骨な態様の行為をされると知りながら、なお同行することとし、出費につき被告人から持ち合わせがないので代金を立て替えておいてほしいと言われたのに対しても、自ら右喫茶店代のほかホテル代等をも立て替えて支払うほどの態度であつたこと、

<4>  個室喫茶あるいはいわゆるラブホテルに入ると、被告人は、洋服がしわになるからとか、こうしないと霊感が通じないからとかその場限りの口実を用いて被害者らを全裸かそれに近い状態にし、自らも同様の姿になつた上で、被害女性を仰向けに寝かせ、霊感治療という名目のもとに女性の腟内に被告人の手指を挿入してしばらく内部のマツサージをし、治療をしているかのごとく装つたのち、次いで「あなたの子宮はひどく曲がつています。指だけでは届かないので、自分の性器を入れて治療します。」などと言い、霊感治療の続きであるかのごとく言いつくろいながらも、同時に種々の性戯的行為を行つた末、姦淫行為に及ぶという異常な形態の行為に出、相手方も、このような一連の行為を認識しながらこれに応じていたこと、

<5>  被害者らは路上で立ち話の際はもとより、喫茶店においても、更に個室喫茶やラブホテルに入つてからも、気が変ればいつでも被告人のもとから退出できる状態にあり、その妨げとなるような事情は全く存在しなかつたこと、

<6>  そして、当日別れた後、被害者らは不審感を持ちながらも姦淫の被害を届出ないでいるうち、被告人が他の女性に対して同様の行為に出た件で逮捕されたことが明るみに出、その際被告人が所持していた手帳に多数被害女性と見られる者の氏名、連絡先等の記載があつたのが手懸りとなつて本件被害者らの存在も判明し、警察から事情聴取を受けることとなつて、被害のてん末を供述するに至つたこと

等々の各事実を認めることができる。

二  以上認定の各事実によれば、

1  本件被害者らは、いずれも正常な判断力を有する状態の下で、被告人がその性器を被害者らの腟内に挿入してマツサージをするという異常な事態を明確に認識しながらこれに応じていることが明らかである。この点において、正常な判断力が欠けていたり、正常な判断力はあつても行為内容の明確な認識を欠いていたために姦淫されてしまつたという、準強姦の場合に従来多く見られた事例とは全く事情を異にしている。ただ、本件被害者らは、そのような行為に応じた理由について、捜査官に対する供述調書中でも当公判廷における証言中でも、一貫して、それはセツクスと同じではないかとも思つたが、被告人から霊感による治療行為だと言われたので治療のために必要だと考え応じたと述べている。そこで、本件では、そのような理由で応じるという被害者らの意識は、任意姦淫に応じる趣旨とどこかに違いがあるのかどうかをまず検討しなければならない。ところで、刑法一七八条は、準強姦と並んで準強制わいせつ罪をも規定しており、両罪は、基本的に類似した構造をもつていると考えられるので、問題の所在を明らかにするため、準強制わいせつを例にとつて考えてみるのに、例えば、医師又はにせ医師から治療行為に仮装して治療行為類似のわいせつ行為に及ばれるのを、そうとは知らず治療行為と考えたが故にこれに応じたという場合、その者に外形上わいせつ行為に類似する行為に応じているとの認識があつたとしても、これを治療行為と誤信している限り、それは治療行為に応じている趣旨にとどまるものであつて、わいせつ行為を許容している趣旨ではないと解されるであろう。したがつて、この場合に治療を仮装した者の行為が準強制わいせつに該当することは、当然である。しかし、それは、外形上類似した行為が、時には治療行為の一部として、また他の時にはわいせつ行為として行われることが通常広くありうるため、患者の立場からはその点の識別が難しく、告げられた行為の性質を一応前提として自己の対応を考えるほかはないという社会的実態が存するからであると考えられる。これに対し、準強姦において、被害者が特定の男性との性器結合を認識しながらこれに応じているという場合は、これと同様に考えることはできない。準強制わいせつの例とは異なり、正常な治療行為としての性器結合というようなことは、通常の感覚の下で考えられないこと明らかであるから、これに応じた場合、その趣旨を単に治療行為に応じただけで姦淫行為に応じた趣旨ではないなどと理解することは、通常できないからである。

そうすると、問題は、性器結合という行為の性質やその相手方がだれであるかについて取り違えがない場合に、なお法律上準強姦罪の成立する余地があり得るか否かという点にかかつてくる。そこで、検討するのに、元来刑法一七七条の強姦罪が、暴行・脅迫により相手方の自由意思を無視して姦淫する行為について規定していることと対比し、規定の位置・法定刑の同一性等に照らし、更には刑法改正作業の進行過程において偽計による姦淫の罪の新設に関し構成要件の定め方や新設そのものの当否を巡つて種々の論議が交わされた経過等をも視野に入れながら考察すれば、刑法一七八条の準強姦罪は、暴行・脅迫以外の方法を手段とするもののうち、実質上これと同程度に相手方の自由意思を無視して姦淫する行為について規定しているものと解するのが相当である。このような観点から、性行為についての承諾がある場合になお準強姦罪が成立するか否かについて考えると、そのような場合には、一般に暴行・脅迫により相手方の自由意思を無視して行われる通常の姦淫の場合に比べ、性的自由に対する侵害の程度が際立つて異なつており、仮に性行為を承諾するに至つた動機ないし周辺事情に見込み違いがあつたとしても、実質的にはるかに軽い程度の被害にとどまつているのが通例であると言わざるを得ないのであるから、それにもかかわらず準強姦罪の成立を認めるためには、そのような承諾があつたにもかかわらずなお暴行・脅迫と同程度に相手方の自由意思を無視したものと認めざるを得ない特段の事情の存することが必要と考えられるのである。

2  それでは、本件被害者らが右のような承諾をしたのは、被告人からその性器に異常があるとか、それは霊感による前記のような治療によつてのみ治すことができるとか告げられたことによつて、心理的に抗拒不能ならしめられていたためであると本件証拠上認められるかどうか。確かに被告人の言動の中には、一部、不妊、流産、奇形児出産のおそれなどという内容が含まれていたから、これが被害者に何程かの心理的影響を与えたであろうことは十分考えられる。しかし、同時に以下のような諸事実が認められることを併せ考えると、被告人の行為が被害者らをして抗拒不能ならしめるようなものであつたとまでは未だ認めることができない。

まず、被告人が被害者らに対し性器異常であるとか、自分のマツサージによつてのみ治すことができるとか言つたとき、その根拠としたのは、被告人の霊感能力という、所詮、一般的には不可解で、広く信用されるのが通例であるとは到底言えない類いの事柄であり、したがつて、当然のことながら、合理的な説明も明確な根拠の呈示もなく、ただ一方的に結論を言いたてるという以上のものではなかつた。霊感能力を実証しているかに装つている点も、少し注意してみれば、被告人が被害者らとの問答の中で、被害者らの態度・表情を読みとつて探索的に言う、その言回しの巧みさ故に、被害者らの一部身上等に関してあたかも言い当てているかのごとく感じさせているだけのものと容易に看破できそうな程度のものであつたと考えられる。しかも、その前後の情況はと言えば、被害者らにとつて被告人は全く通りがかりの素姓不明の人物であつて、その言動を信じるのが自然と見られる事情は全く存しなかつたし、更に、霊感による治療などと言いながら、行おうとする治療行為の内容は、手指を女性性器に挿入するというような露骨かつ怪しげな方法であり、もとより医療クリニツク的な場所・設備を構える等の通常誤信しやすい外観を備えていたというわけでもない。むしろ逆に、治療行為をすると称して被害者らを個室喫茶とかラブホテルとかの、どうみても怪しげなとしか感じられない場所へ同行しようとしながら、そのホテル代のみならず喫茶店代も所持していない手合いであつたのである。こうした状況からは、被告人の言動は、通常人の感覚に照らし、いかにも眉つばもの、少なくとも、通常の判断能力を有する成人女性を広く信用させるに足りる力を有するものとは見ることができない。もとより、被害者らは、いつでも被告人のもとから退出し得た拘束のない環境にあつたのであり、更に、あわてて被告人に治してもらわなくても、日を改め、他の然るべき医療機関で診断・治療を受ける方法も自由に選び得たのであつて、そうしたことをも併せ考えると、右のような被告人の言動は、これにより被害者らが精神的余裕を失わせられ、抗拒不能ならしめられるのが通常と理解されるほどの実質を有する行為であつたとは到底考えられない。

3  右の判断に対しては、被告人の行為が仮に右のとおりであれば被害者らは同行しなかつた筈ではないか、同人らが同行したということは、つまり、一般人はどうであれ少なくとも本件被害者らは被告人の霊感能力を真実と誤信したからであり、そのように誤信している状態は、誤信することが一般的であろうとなかろうと、誤信している本人にとつては抗拒不能ならしめられている状態と考えるべきではないかとの反論があるかも知れない。現に被害者両名は、捜査段階でも当公判廷でも、共に被告人と話をしていた中で同人から自己の身上等をいくつか言い当てられたと感じ、その霊感能力を信用したと述べている。ところで、一般に、欺罔され錯誤に陥つている状態は、錯誤の原因いかんを問わず、それだけで刑法一七八条にいう「抗拒不能」に当たると言えるかはかなり疑問であるが、その点に関する一般論はしばらく措き、本件被害者らの場合がこれに当たる例であるかどうかを証拠により検討する。まず、被害者らが被告人に同行して怪しげなラブホテルなどへ行つたとの結果から逆算してそれは被害者らが被告人の霊感能力を信用していたためであろうと、簡単に考えてしまうのは、霊感というようなものに対する現在の社会一般に共通の理解ないし認識から見て余りにも唐突すぎるとの印象を当裁判所としては否定できない。もとより、霊感・星占い・手相等々といつた事柄に対し強い興味や関心を示す向きが、特に若い女性層に少なくないと言われる最近の状勢は、それなりに認識しないわけではないが、しかし、本件のごとく全く見ず知らずの行きずりの者から目の下にクマがあるのは性器異常の証拠であるなどと言われただけで、年令相応の性知識や判断能力を備えていた被害者らが、一見して異常とわかる右の説明をあたかも正規の医療機関における診断や治療予測と同様に確かなものと理解し信用したなどとは容易に考えられるものではない。むしろ、被害者らとしては、被告人の話が霊感という不可解で直ちには信用し難い性質のものを根拠としていることや、そのような霊感治療を受けるのもこれを拒否するのも共に自由かつ可能な立場にあることを知りながらも、反面、不可解であるだけに神秘的に見えるところもあつて、全面的に否定し去る気にもなれず、そのような霊感治療にはある種のリスクが伴うことを承知しながら、なお、被告人に短時間同行し、ただ一度被告人の言うような治療を受けることにより、他人におおつぴらに知られることなく治り将来に不安を感じないで済むというのであれば、試しにそのような治療を受けてみてもよいと自らの意思で決め、これに応じる選択をしたものであろうと考えさせる証拠が多く、またそのように理解するとき初めて、被害者らが女性に本能的な性的警戒心を抑えて霊感治療を受けようとした行動を辛うじて無理なく了解することが可能になると思われる。そして、被告人から右は治療行為であつて性行為ではないとの説明がされたことも心理的な弁明を可能にし、抵抗感をゆるめる上で役立つたものであろうかと考えられる。

もつともこうは言つても、本件被害者らは、ようやく成人に達したばかりの未婚の女性であり、被告人との間の性行為に積極的な興味をもつて同行したというような事情は全く認められない。性経験のある被害者の場合にも、そのことが格別道義感のくずれを示しているとまで見ることはできないようであるし、更に、被告人は、その年令相応の容ぼう、出会つたばかりで素姓も知れない間柄など、どの点から見ても被害女性らが好意を抱いて同行したくなる相手方と見られないことは明らかであり、むしろ、そのような感情が湧く相手ではなかつたからこそ気を許し、霊感治療というものを試してみる気になつたと考えてみるべきであろう。

被害者らが、被告人の霊感治療の話を全面的に信用していたと供述していることは前記の通りであるけれども、そのような供述は、被害者らが置かれている立場からすれば一般的にみて別段異とするに足りない。特に、本件は、被告人を別件により逮捕・捜査したのに、当該事件が起訴されるに至らないその手続の中で、派生的に判明してきたいきさつのもの、つまり被害者らとしては、被害申告をしないで済ませていたのにそのてん末が予想外の経過で表面化してしまい、その結果なぜこのように一見して怪しげな被告人の行為に応じたのかという説明をせざるを得ない立場に立たされてしまつたとも言えるわけで、その点の説明として、被告人から治療行為と言われたのを全面的に信用してしまつたとの理由づけをすることは十分あり得ることだからである。今、霊感治療という被告人が持ちかけた話の客観的内容と、これが聞く者に対して一般的に有する影響力を中心に据えた上で、これを前提としながら関連する周辺事実とのつながりを理解してゆこうとすれば、右のように考えるほかはない。

このようにみてくると、本件の場合に被害者らが被告人との間の性行為に応じたのは、霊感能力に対する全面的な錯誤によるものと速断することはできないように考えられる。

4  ところで、本件証拠によると、被告人は、被害者らをホテル等へ同行する以前には、霊感による治療行為の内容として腟内への手指挿入マツサージを言い、被害者らが応じることとして同行した後マツサージの途中になつてから、これだけでは完全な治療ができないと称して性器挿入という予想外の方法を言い出したものであつた。そこで、この点をとらえて、このように既に全裸となつて手指挿入に応じてしまつている被害者らに対し途中から性器挿入を持ち掛けるのは、相手方の拒否を事実上難しくさせるので、右は心理的な抗拒不能に当たると見るべきではないかとの考え方があり得るかも知れない。しかし、例えば、全く別の名目でホテル等へ同行したのに、その室内で事態が突然予想外の展開となつたというような場合には、正にホテル等へ行つた後の状態だけを切り離して評価することも適当であろうが、本件のごとく喫茶店からホテル等へ向かう時点において、ホテル等への到着後は、被告人の前に性器を露出し、その手指を挿入されるという、極めて露骨で性器結合と紙一重とも言える態様の行為にも応じるつもりになつていたことが前提となつている場合に限つて言えば、性器結合については全く予想外であつたなどと考えるのはやや技巧的な理解に過ぎる。このことは、被害者らが、ホテル等の中において、手指挿入等の、治療行為の内容としてあらかじめ聞かされていた行為に応じていただけでなく、これに付随して、一見して治療行為と無縁と分かる性戯的行為にも応じていたことによつても裏付けられていると思われる。

以上の次第であるから、ホテル等へ入つてから突然性器挿入という、それまでの経過に照らして全く予想外の行為を求められたのでその場の状況上抗拒不能ならしめられたとか、抗拒不能となつたのに乗ぜられたなどと考えることは、本件に関しては適当でないと判断される。

5  こうしてみると、当初に述べた特段の事情、すなわち、性行為の承諾があつたにもかかわらず、なお暴行・脅迫と同程度に相手方の自由意思を無視したものと認めざるを得ないような特段の事情については、本件の全経過に徴してもこれを認めることができないと言うべきである。

三  以上のとおりであつて、被告人の本件各行為は、被害者らを抗拒不能ならしめるような性質のものとは認められず、また、現実にも、被告人の働きかけによつて被害者らが抗拒不能に陥つていたとは認められないのみならず、性行為について承諾のあつた本件につき、それにもかかわらず準強姦罪の成立を認めるべき特段の事情はうかがうことができない。

なお、付言するに、準強姦罪の成否が問題となる事例のうちでも、本件のごとく、正常な判断能力を有する成人女性が、特定の相手方と性行為を持つことを認識しながらこれに応じている場合における同罪の成否いかんの問題は、やや特殊・異例である。そのため、参考とすべき先例も少なく、また事例ごとに具体的事情を異にし、共通の適用基準を見出すまでには至つていない。本件における具体的な事実関係を前提とするとき、当裁判所の判断は、前述のとおりであるが、これに対しては、特定の相手方と性行為を持つことの認識・認容がある限り、そのことだけで直ちに準強姦罪は成立しないと考えるべきではないかとの厳格な立場や、反対に、一方で怪しげなセツクス産業が氾濫し、他方で一般人の性意識の解放化が進むという近年の情勢を基盤にし、人を欺く度合いの特に強い一定範囲の犯行を放置したままでよいかとの懸念から、性行為に応じた動機更には周辺事情に錯誤があるときも、承諾が真意に出たものでないことを理由としてこれに該当するものとし、その成立を緩やかに考えるべきではないかという立場など種々あり得よう。そして、それぞれの場合に更に多くの問題が派生する。例えば、緩やかに解するときは、その適用により結婚詐欺的事犯が準強姦罪とされるような拡大適用を防ぐため有効な適用限界いかんの問題を生じようし、また、欺罔に優るとも劣らず手段において悪質と見られる「威力による姦淫」に対する罰則が存しないこととのバランスの悪さも問題となろう。本件はそうした種々の論点を含む異例の事件であり、これをどのように考えるかは、ひいて準強姦罪そのものの性質についての基本的な理解につながるところがあるので、当裁判所としては、職権により被害者両名を証人として敢えて直接尋問し、単なる文字面だけよりも更に一歩立ち入つて理解するように努めると共に、両当事者に対しても十分の検討を求めるなど慎重な審理・判断を重ねてきたのであるが、結局上述した理由により、本件は、その行為内容自体ははなはだ反社会的であり、別に罰則をもうけて処罰の対象にとりこむことも、方策として十分考えうる素地をそなえてはいるけれども、刑法一七八条所定の準強姦罪に該当すると考えることはできず、無罪とするほかないものと判断せざるを得なかつた次第である。

そこで、刑事訴訟法三三六条により、主文のとおり判決する。

(裁判官 秋山規雄 永井敏雄 合田悦三)

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